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仏教を捨てた人々


『がんばれ公明党』の人々は、ネットにいる創価学会員の集まりです。それも日蓮大聖人の法華経でなければ成仏できないを正しいとする、もっとも激しい法華経信者のはずです。しかし『がんばれ公明党』の人々は、仏教を捨て、釈尊の教えどころか、日蓮大聖人まで捨てて、西洋思想に染まりきっているのです。仏教的人権思想とキリスト教的人権思想(西洋人権思想)が違うことを理解せず、ごちゃ混ぜにして、仏教を、法華経を捨てているのです。

仏教は、「桜梅桃李」という言葉があり、桜梅桃李が違うことを明確にします。梅には梅の花が咲き、桜の花は咲きません。そして日本では、桜が国花であるように、桜が最も美しい花とされています。だから梅・桃・李の花には価値がないと考えてしまいがちです。これが人間であれば、貧乏人と見下すなんてことになります。しかし釈尊は、梅・桃・李の花にも、それぞれの美しさがあり、価値があるとしたのです。貧乏人にも良いところがあり、その価値を認めるならば、見下すこともなく大切にできますよね? これを実践したのが不軽菩薩です。

一方、キリスト教は、神の前の平等であり、キリスト教信者という価値を持つ者の平等と説きます。同じキリスト教徒であるからこその平等であるので、他宗教を蔑視し、十字軍の遠征のように、イスラム教徒を暴行・虐殺することが起きています。つまりキリスト教をベースにした西洋人権思想は、同じカテゴリーに属するがゆえの平等であって、他のカテゴリーに属する者を区別することは当然なのです。

要するに、仏教は「カテゴリーの違いを明確に区別した上で、他のカテゴリーを不当に扱わないようにしよう」と考え、キリスト教では「カテゴリーの違いを明確に区別した上で、同じカテゴリーに属するなら平等に扱おう」と考えるのです。

これの何が『がんばれ公明党』の人々と関係するのかというと、外国人参政権です。日本人と外国人を区別するのは、仏教でもキリスト教でも当然です。ところが『がんばれ公明党』の人々は、日本人と外国人を区別するのはおかしいと言うのですから、仏教どころかキリスト教でさえないのです。

仏教なら、国民主権に基づき、参政権を日本人に限定し、外国人を排除するのは当たり前です。その上で、日本人が、外国人を不当に扱わないようにしようと考えるのです。キリスト教でも、日本人と外国人を区別するので、当然、外国人に参政権を与えないという結論になります。

このように『がんばれ公明党』の人々は、もはや仏教徒ではなく、何やらおかしな新興宗教信者あるいは思想家と言わざるを得ないのです。

ちなみに政治的には、韓国で外国人参政権を認めるから、日本でも認めてくれというものだったのですが、韓国では国民主権を理由に否決され、今に至っています。だから日本が認める理由などありません。

さらに日蓮大聖人は、「立正安国論」を記し、法華経に帰依するように観経しました。法華経に帰依しなければ駄目だと言ったのです。これを釈尊の悟りと関連付けるならば、法華経に帰依しなければ悟ることができない、成仏することができないということです。さらに、これを人間の成熟という俗的な考えと結びつけるならば、法華経に帰依していない人間の成熟度は低いということになります。

つまり日蓮大聖人は、成熟した知性や道徳のある人間であるかどうかを、法華経への帰依の有無で判断できるとしたのです。とするならば、性善説的な考えで交渉できるのは、成熟した法華経信者同士の間だけとなります。そして世界のほとんどの人間は非法華経信者であり、知性や道徳の低い人間です。もちろん国でも同じことが言え、世界は、知性や道徳の低い国家ばかりです(以上、あくまでも日蓮大聖人の考えてによれば)。

にも関わらず、憲法九条改正に反対し、集団的自衛権に反対し、日本が独自の軍事力を持つことに反対するのです。法華経に帰依していない中国・韓国・北朝鮮を信用せよと言うのですから、笑うしかありません。中国・韓国・北朝鮮さらにアメリカは信用できないと言いながら、アメリカの軍事力を当てにするのはギャクなのでしょうか?(笑)

そもそも釈尊は、戦争をしようと考えた阿育大王に、戦争をしないように説いたのです。『がんばれ公明党』の人々が、法華経信者として為すべきことは、軍事力を放棄している日本ではなく、軍事力を増強している中国・韓国・北朝鮮を折伏し、法華経に帰依せしめ、成熟した知性や道徳のある国家にすることです。そうして初めて、性善説的な考えで交渉ができるのです。

そして『がんばれ公明党』の人々が、軍隊を持ったら戦争をするなどと、「反戦・平和バカ」の発言を繰り返すのは、隠れ社民党員・隠れ共産党員と揶揄したくなります。以前、韓国の教育の現場をTVの特集で見たのですが、「江戸時代の日本は徳があったので朝鮮を侵略しなかったが、明治以後の日本は徳を失ったから朝鮮を侵略した」と教えていました。ペリンの「鉄砲を捨てた日本人」に詳しいのですが、日本人は徳を高めることで、世界最大の軍事国家でありながら、二百数十年の間、侵略しないでいられたのです。武士は禅と結びつきが強く、臨済宗や曹洞宗の教えが、「軍事力を有して使わず」の精神を生み出したのでしょう。史上、類いまれなる「軍事力を有して使わず」の精神を日本人に持たせるべく、武士道の重要性を改めて説くことを考えるべきでしょう。それに日蓮の弟子が、天魔である禅よりも低い境涯で満足しようというのであれば、日蓮の弟子を名乗るのを辞めるべきです。ああ、『がんばれ公明党』の人々は、新興宗教信者あるいは思想家なんでしたね(笑)

ともあれ『がんばれ公明党』の人々は、仏教を何一つ理解していなません。西洋の人権思想や平等思想にかぶれ、あげく仏教でも西洋思想でもないヘンテコな思想を持っているのです(笑)


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